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私も勤労する人民の息子であると言いながら

    偉大な金正日総書記の高邁な人民的風格を物語る逸話の中にはこういう話もある。

    1961年の夏、総書記金日成総合大学の時代、臥山洞ー龍城間道路拡張工事に参加したときのことであった。

    ある日、総書記は工事場に現れた石炭バケツを提げた一人のおばあさんを目にした。

    おばあさんに近づいて丁寧に挨拶をした総書記は、何の用事であるかと親しく尋ねた。

    おばあさんは石炭を少し持っていこうと来たと答えた。

    総書記はお宅に石炭が遣いきれているのかと心配そうに訪ねた。おばあさんはそうではなく、貴重な石炭が土に埋められるのが惜しいからであるといった。

    おばあさんの話を聞いた総書記は、ブルドーザーで表層の土を剥がしのけ、掘削機で石炭を汲み出して安全なところに運ぶようにした。

    総書記は、今からは安心して石炭を持っていても大丈夫でしょうと言いながら、自ら十能で石炭をバケツに入れるのであった。

    おばあさんは恐縮の顔色を隠せず、私のために苦労させてすまないと挨拶をした。

    総書記はそれを差し止めながら、おばあさんは今日私たちに本当に貴重なことを諭してくれた、おばあさんでなかったらこの貴重な石炭をそのまま土に埋めてしまうところだった、おばあさんのようにたとえ少量の石炭であっても貴重にし、節約するのがどんなに立派であるかと胸熱く言った。

    おばあさんは感謝の気持ちを表し、今度は総書記に近づきながらこの工事場で主席の令息も働いていると聞いたが、一度お会いすることはできないだろうかと耳うちした。

    総書記は笑いを含めた語調でこの大きい工事場で、今すぐどこで探すのかと、おばあさんがどうしても願うなら、後に会えるでしょうと言った。

    おばあさんは肯いてから、石炭のバケツを頭の上に載せようとした。その時総書記は若者たちがいるのにこうしてはだめだと、私が運んであげるから早くお宅に行きましょうといいながら、石炭バケツを小高い所まで運んであげてから戻ってきた。

    ある学生がおばあさんにあの方が主席の令息であると静かに耳打ちしてくれた。

    驚いたおばあさんは引き返して総書記のところにあたふたと駆けつけてきては、「いやいやこの年をとったものが、……この私のためにそんな粗い仕事までなさるなんて」とあわてて言いながら挨拶もまともに上げなかった。

    総書記は恐縮の意を隠せないおばあさんに、私も勤労する人民の息子である、人民のためなら何をためらうのか、人民のために働くことよりもっと立派なことは無いと真心を込めて言うのであった。

    総書記の話を聞きながらおばあさんは、偉大な主席の高邁な人民的な風格をそのまま体現したもう一人の偉人を見上げるだけであった。