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 チュチェ36(1947)年12月、偉大な金日成主席の臨席の下、憲法制定のための会議がおこなわれていたある日であった。
この会議では憲法の章別配置にたいする問題が討議された。
主席が章別配置に他の意見がないかと尋ねると幹部らはないと答えた。
すると主席は顔を曇らせた。それは公民の権利と義務にたいする内容が憲法草案の最後の部分に反映されていたからであった。
当時、他国の憲法もそのようになっていたので幹部らはそれをそのまま受け入れたのであった。
しばらく考えていた主席はあなたたちが作成した憲法草案の章別配置はわれわれの現実に合わない、われわれの憲法には人民の民主主義的権利と自由について第一位に置かなければならない、と強調した。
これは単に章の位置変更ではなく、常に人民を天のごとくみなす主席の崇高な人民観に支えられてあらゆるものの主人となった朝鮮人民の地位にたいする観点の問題であった。