チュチェ81(1992)年4月14日、
談話では多党制の旋風が巻き起こっているアフリカの政治情勢の問題が議論された。
1980年代末までアフリカは植民地のくびきから脱し、新生活を創造しながら自主の道に沿って力強く前進する大陸として呼ばれていた。
そのアフリカ大陸が1990年代初に入って社会的無秩序と混乱、経済の荒廃化と種族間の対立と衝突の渦巻きの中に陥り、文字通り阿鼻叫喚の生き地獄となった。
諸国で政権党が石垣のように崩壊して野党となり、種族間の内戦によって経済が荒廃化し、人民が塗炭の苦しみを舐めるようになった。
アフリカ大陸に生じたこうした悲劇は帝国主義者が強要する「多党制」を把握もなしに受け入れた結果であった。
元々、「多党制」は政治分野に具現された多元主義の一形態として思想における「自由化」、所有における「多様化」とともに資本主義社会の固有な政治方式である。
帝国主義者は植民地のくびきから脱し、自主的発展の道へと進むアフリカ諸国を内部から瓦解させるために経済的「援助」を餌に「多党制」を強要した。
ところが、アフリカの多くの国が「援助」に嵌って「民主主義」のベールに包まれた「多党制」をそのまま受け入れた。
「多党制」を受け入れた国々は例外なく、高価な代価を払わざるを得なかった。
主席は帝国主義者が「多党制」を受け入れるように説教する目的は、進歩的に進む国々を自らの植民地支配と従属の維持に利用するところにあると、ソ連は70余年間も革命を行ってきたが、「多党制」を受け入れたので、一朝にして共産党も国家が滅びたと、東ヨーロッパ諸国が崩壊したのも「多党制」を受け入れた結果であると教えた。
そして、アフリカ諸国には種族が多い、それだけ、一国で「多党制」を受け入れれば、その国の内でも各種族が自ら自己の党を作るようになる、こうなれば、種族間に紛争が起こるようになる。
多党制を受け入れた国の人々が苦境に陥ると、それらの国が苦境に陥れば、時すでに遅しである、その時はすでにその国が帝国主義者の手中に入った時である、苦い経験をする前に当初から「多党制」に期待を掛けてはならない、「多党制」を受け入れれば滅びる道しかないと念を押して教えた。
主席の貴重な教えに接した彼は興奮を抑えきれず、自分たちは帝国主義者の「多党制」の宣伝に騙されないだろうし、自己の政治組織をさらに強化していくだろうと誓った。