朝鮮での農業協同化は、金日成主席の独創的な思想と賢明な指導により戦後わずか4-5年という短い期間に実現された。
労働者階級の先行理論には、生産力の発展によって生産関係が変化、発展するという原理から出発して、社会主義工業化を実現した後でのみ農業協同化が実現できるものとされている。そこで、旧ソ連をはじめ社会主義諸国では工業化をし、農村経理を技術的に改造したうえで農村経理形態を社会主義的に改造した。これは多くの国で公式のようになっていた。
金日成主席は、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというチュチェ思想の根本原理にもとづいて、農業協同化を実現するうえで基本は、農村経理が近代的技術で装備されているかということではなく、農業協同化が農民自身の生活的要求として提起されているか、それを担当できる主体的勢力が準備されているかということであるとみなし、苛烈な祖国解放戦争の時期にすでに、農民自身が要求すれば、工業化が実現されずトラクターのような近代的な農機械がなくても農業協同化を実現することができるという独創的な思想を提示した。
わが国でアメリカ帝国主義によって強要された朝鮮戦争が終わった後、農村における農業協同化問題は農村経理の主人である農民自身の生活上の要求として提起されていた。
3年間の戦争によって、農村経理の物質的・技術的土台は酷く破壊され、農民の生活も零落した。こういう状況で個人農民経理をそのままにしておいては農業生産力を発展させず、零落した農民の生活水準も速いうちに高めることができなかった。
当時、わが国には農業協同化を担当しておこなえる革命勢力が十分整えられており、農業協同化に反対する勢力はきわめて弱かった。
金日成主席はこのすべてのことを深く洞察したうえで、1953年8月に農業協同化を実現する方針を打ち出し、その実現をめざす朝鮮人民の闘争を賢明に指導した。
金日成主席は農業協同化実現過程で、農民が自分の意思にしたがって組合に入るようにする自願性の原則、貧農にしっかり依拠しながら中農との同盟を強化し富農を制限し漸次改造する階級政策、農業協同化運動にたいする党と国家の指導と援助を強化する原則を提示した。
そして貧農と農村の中核で各郡に数個ずつ農業協同組合を組織し、それを強固にする経験的段階を設定し、それを大衆的段階へと発展させるようにした。また協同化運動がはじまった初期から協同経理の三つの形態を規定し、組合を組織するうえで具体的な実情に即して農民自身がその形態を選ぶようにした。
金日成主席は農業協同組合の規模をあまり小さくしたり、あるいはあまり大きくしたりせず、幹部の管理運営水準と農民の思想意識水準に即してその規模を、最初には15-20戸程度にし、状況が成熟されるにつれて漸次40-100戸程度に大きくするようにした。
金日成主席の賢明な指導によって、試験的に組織された農業協同組合の優位性が現れるようになると、すべての個人農が進んで組合に入るようになった。そうして、わが国における農業協同化は1958年8月に全国的に完成された。